『ごんぎつね』 のラストシーン
『ごんぎつね』
昔も今も、小学4年生の「国語(下)」の教科書に出てくる物語。
私も小学生時代に教わったのだと思うけれど、国語の授業としての記憶はほとんどない。
でも、最後まで読んで受けた衝撃は、今でも覚えている。
「ごん、おまえだったのか。いつも、くりをくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は、火なわじゅうを、ばたりととり落としました。
青いけむりが、まだ、つつ口から細く出ていました。
『ごんぎつね』
ものすごく悲しくて、やるせない結末。
読まなければよかった、と思ってしまうような読後感。
そんな『ごんぎつね』のラストシーン。
同じ「国語」の教科書でも、出版社によって最後の挿絵の描かれ方は微妙に違う。
日本書籍(平成14年)
東京書籍(平成11年)
教育出版(平成17年)
学校図書(平成17年)
光村図書(平成17年)
違うのは、
雰囲気や色合い、兵十の髪型、兵十とごんとの距離、くりの有無、ごんの体勢、火なわじゅうのつつ先から出ているけむりの立ちのぼり方・・・。
誰の視点で描かれたものなのか、どの部分を切り取ったものなのか。
挿絵をきっかけに、イメージがよりふくらむこともあれば、イメージが挿絵にとどまり、それ以上に広がらないこともある。
挿絵は、確実に子どもたちの読み取りに何かしらの影響を与える。
もし、複数の教科書を見比べることができたなら、子どもたちは、どの挿絵が自分の読み取った情景にしっくりくると思うだろう。そう思う理由についてもたずねてみたい。
ところで、
作者である新美南吉(にいみなんきち)がこの『ごんぎつね』を執筆したのは、
なんと17歳の時。
幼くして母を失い、寂しい幼少期を送ったという新美南吉が亡くなったのは、『ごんぎつね』を世に送り出してからわずか十数年後の29歳の時。
「権、おまいだったのか…、いつも栗をくれたのは--。」
権狐は、ぐったりなったまま、うれしくなりました。兵十は、火縄銃をばったり落としました。
これは、南吉青年が最初に書いた原稿(草稿)。
教科書に載っているものとは、ちょっと表現が違う。
“ごん”と自分自身とを重ね合わせていたとも言われる南吉青年の頭の中には、
このラストシーンがどのように映し出されていたのだろう・・・
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