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2015年3月24日 (火)

2015 中学入試問題 その3~甲陽学院中~

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日曜日の池袋。



はちきれそうな蕾が鈴なりの公園の桜。



満を持して一斉に花開いたら、どれだけ見応えあるのだろうかと、その光景を想像して胸躍る。



今日は小学校の卒業式。5年生のとしくんは初めて参列。


そんなとしくんが、ピッカピカの1年生になったとき、よく口ずさんでいたのが、



♪ 一ねんせいになったよ~、一ねんせいになったよ~ ♪ の歌。



まど・みちおさんの童謡、「一ねんせいになったら」の替え歌(笑)。



この「一ねんせいになったら」に繰り返し出てくる「ひゃくにん」という数について取り上げていたのが、甲陽学院中の国語の入試問題。



甲陽学院中学校・高等学校は、兵庫県西宮市にある私立の学校で、高校では生徒を募集しない完全中高一貫校。



その文章の一部をご紹介すると、こんな内容。



◆『まど・みちお全詩集』(理論社)の中にこんな詩がある。タイトルは「うつくしい ことば」。



   たのしそうに 口にしあっている


   ――ともだち


   という うつくしい ことばを




   ともだちで ないものには
 
   しらんぷり しておこうよ


   という いみにして…




   しみじみ つぶやきあっている


   ――にくしん


   という しみじみした ことばを




   あかの たにんなどは
 
   ほっとこうよ


   という いみにして…




まどさんが、この「耳に痛い詩」を書いたということは大変重要だと思う。


「ともだち」という美しいことばは区分けのことばだ。
「ともだち」じゃない人への無関心、おそれ、反発などがその裏側にひそんでいる。
それはいじめの芽にもなりうるだろう。


「ともだち ひゃくにん できるかな」に、こめられているのは、いじめの芽をふっとばそうとする百の勢いではないだろうか。


※井坂洋子『ともだちひゃくにん』より



 
甲陽学院中の入試問題では、この文章に対して、次のようなことを受験生に問いかけていた。



○「いじめの芽をふっとばそうとする百の勢いではないだろうか」について、ここで「百」とはどういうことをいっているのか。






これから思春期を迎える子どもたち、あるいは思春期まっさかりの子どもたちにとって、「ともだち」という言葉は、いまどんな意味合いを持つのだろう。



そして、いま、携帯電話などのメールやLINEなど、メディアを介したコミュニティーでは、「ひゃくにんのともだち」ができるのは、きっとあっという間。



それって 「ともだち」 なの? と、まどさんには驚かれそうだけど (^_^;)。



去年、2014年2月にお亡くなりになた、まどさんの年齢も百四歳。まどさんの存在、まどさんの作品からも伝わる “勢い” 。



そんな、まど・みちお さんの本名は、石田道雄。



ペンネームを 「まど・みちお」 にしたのは、自分が人の「窓」になることで、この世にある全ての存在を見てほしい、感じてほしい、と願ったからだそう。



人に限らず、生き物にも、物にも、言葉にも、事柄にも、まなざしを注いでいたまどさん。



何をしたかではなく、存在しているというそのことに多くの人の目が向くように自らが窓になって。


わたしも




まどさんのような窓を持ちたい。










「百の勢い」 の 「百」。子どもたちがそこからどんなメッセージを受け取り、解答用紙に何を書いたのかわからないけれど、


池袋の公園の鈴なりの桜の蕾を見たら、


案外簡単に「百の勢い」の意味するものが腑に落ちる。







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