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2015年4月の10件の記事

2015年4月28日 (火)

広尾学園のICTカンファレンス 〜パネルディスカッション編〜



昨日の続きを書く前に、iPhoneのニュースサイトで頻繁に目に入ってくるネパールの大地震の被害状況について。


25日に発生してから刻々と深刻な被害が明らかになっていき、そしてその事態の深刻さが増していっている状況にとても胸が痛む。


昔はテレビのニュースや新聞、ラジオからの情報を待つしかなかったけれど、今の時代は情報を得ようと思えばいろいろな手立てがある。そして受信するだけでなく、世界に向けて自ら発信することもたやすい。


だからこそ、デマの拡散に関わらないように気をつけつつ、個人であってもいろいろな支援に関われるということを意識して、被害に遭われた人たちのことを気にかけていきたい。


さて、


昨年秋に訪れた、広尾学園のICTカンファレンス。午前は公開授業。午後は広い会場で先生方のパネルディスカッション。


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先生方の話はとても刺激的かつ魅力的で、特に次のような言葉が印象に残った。



・ICT機器を持つことで、個人の興味を超え、教科書以上の情報に触れることができる。やる気や意欲、好奇心や探究心が向上する。


・教育界にICTが導入される意味とは、ガラパゴス化した停滞気味の教育にエネルギーが注がれ、教育の本質に近づくということ。


・知識や技術を教えるつもりはない(今後覆ることもあるから)。答えを知らないものにどうアプローチすると良いかを学ぶことが大切。ICTや英語はそのためのツール。


・これからは教育の内容と質を考える時代。


下の板からもわかるように、とにかく熱い思いがほとばしっていた先生方。自分のメモ書きを見ながら思い起こしているので、言葉足らずで不正確な内容が含まれているかもしれないけれど、


「習うから学ぶへ」「ICTをいかに創造の武器にするか」ということに力が注がれていることがよくわかった。


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ちなみに、コースによって生徒の持つ 「ICT機器」 は、MacBookだったり、iPadだったり、chromebookだったりする。


こういったICT機器に加えて、Googleドライブ、ムードル (Moodle) といったオープンソースのeラーニングプラットフォーム、非営利の教育Webサイトである、カーンアカデミーなど、先生方は様々なツールをご存知で、積極的に活用しているようだった。


改めて、これまでの「上から下へ」、「少数が多数を教える」といった教育のあり方が、ICTの導入によって変わっていっていると肌で感じる。


でも、例えば国や政治家に任せておけば安心だといった「権力者ともの言わぬ庶民」といった関係は、東日本大震災をきっかけに、多くの人の中で崩れたのではないかと思う。


国からの情報を待つことからツイッターで流れてくる情報を元に行動したり、


自らの状況をツイッターで不特定多数に伝え、権力機関が動いたりというケースもあった。


広尾学園ICTカンファレンスの午後のパネルディスカッションでは、生徒さんも登場し、所有するICT機器の使い道や、メリットやデメリットを率直に語ってくれた。


・演劇部の活動では、演じている様子をiPadで撮り、みんなでチェックし合えるのが良い。


・場所を問わず議論でき、意見がもらえるのが良い。


・自宅でICT機器を使っていると、ふとYouTubeを見てしまったり、様々な誘惑に負けやすい。自己管理の必要性を感じる。


・ICT機器があるからこそ、リアルなコミュニケーションが大切だと思うようになった。


どの生徒さんも、先生方の熱い思いや、何のために自分たちにICT機器が提供されているのかということをよく理解している。


冒頭で先生が述べていた「教育の本質」とは何だろう、と改めて思う。


子どもが小さい時は、ディスプレイ越しではなく、自分の目で、鼻で、耳で、全身で様々な体験をしてほしい。


たとえば、映像で見る「花火」と、実際に花火を見たり、したりするのとではまるで違う。


そして、検索すれば、何らかの「答え」が得られるのがインターネットの世界だけれど、世の中にはすぐに答えの出ないもの、複数の答えが考えられるものの方が遥かに多い。


たとえば、もう取り返しがつかないけれど、あの時自分はどうすべきだったのだろうかと考えたり、なぜあの人はあのタイミングであのような発言をしたのだろうかと疑問に思ったり。


なので、これからは前回書いた、ヒューマニティーズの学びがもっと重要になると思う。


というより、


五感を使って感じること、目に見えないこと、を貴いことと捉え、大事にしたい……

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2015年4月27日 (月)

広尾学園のICTカンファレンス 〜公開授業編〜

この前、自宅の水槽をメンテナンスしていて思い出す。


そういえば、前はよく、家の部屋の壁が水槽だったらいいのになあと、思っていたことを(^^)。


そして、実際にそれを実現していた学校があって驚いたことを!!!


それは、昨年秋にICT カンファレンスを開催した広尾学園を訪れた時のこと。


広尾学園は、東京都港区南麻布にある私立中学校・高等学校で、最近とても人気がある中高一貫制の共学校。


大正時代に設立された時の名前は「順心女子学園」。女子校だった。


その学校が、生徒1人に一台のICT機器を提供し、それを活用した授業改革を行っていると聞いたので、足を運ぶ。


公開授業をしている教室に行くために乗ったエレベーターを降り、廊下を曲がった途端、目に飛び込んできたのは、大きな水槽。


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水槽越しに授業参観・・・(^^)。


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いいなあ。わが家では窮屈そうなエンゼルフィッシュが、ここではのびのび泳いでる。そんな淡水魚の隣は海水魚。


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ちょっと授業内容は頭に入らず、魚に夢中でごめんなさい(^^;)。


次の授業は、水槽のないクラスに移動。少し落ち着く(笑)。


様々なカバーをかけた自分専用のICT機器を使いこなしている生徒さん。


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理科の実験では、熱を加えた物質の変化の様子を映像で記録。


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熱された物質は中心から色が変わっていき、ちょっとした歓声が上がる。


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でも、せっかく間近で変化を目の当たりにできるチャンスなのだから、できればディスプレイ越しではなく、自分の目で、鼻で、耳で、その変化を直接、丸ごと捉えてほしいなあと思う。


そして、実験は続き、物質の質量の変化を手元のICT機器に入力すると、前方のホワイトボードにその数値が表示されていく。


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複数のグループで実験して得られた数値が記録されていくと、その数値は一直線に並んでいく…


…はずなのに、あるグループの数値だけが際立って違う位置に表示されたので、これは測定方法や記録した数値に何らかのミスがあったのではないかということが推測できる。


こういった場面では、感覚ではなく、論理的に正しいデータと言えるかどうかが大切になるので、ICT機器を使うとその検証がしやすい。


学びには、


なぜ雨雲が雨を降らせるのかという仕組みや原理を追究するサイエンスの学びと、


同じ雲を見ているのに、その雲の形からイメージするものは人によって違うのはなぜだろうということを追求するヒューマニティーズの学びがあって、

どちらも大事だと私は思う。


先の水槽も、水のPHの数値を保つための工夫や、魚の性質から混泳に向く魚の組み合わせを考えることもあれば、


なぜ水槽を見てるだけで癒されるのだろうかと考えたり、安全なこの水槽の中と、敵もいるが遥かに広い海の中では、どちらが魚にとって幸せなのだろうかと考えたりすることもある。


子どもたちには、サイエンスとヒューマニティーズの両方の側面から物事にアプローチする機会を持ってもらいたいと思うけれど、


一つの結論が出やすいサイエンスと、答えが複数あったり、答えそのものが出なかったりするヒューマニティーズでは、ヒューマニティーズの方が分が悪くなりやすい。


こういった教育的な側面は、ICT機器、ICT技術を取り入れることでどう考えていくことができるのか。


午後は、「広尾学園のICT教育」というテーマで、ICT機器、ICT技術を取り入れることによる教育の新たな可能性について、大変興味深い話を聞くことができた。


それはまた明日。


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2015年4月23日 (木)

エンゼルフィッシュだって…


少し前、


ジャングル化していた水槽を久しぶりにメンテナンス。


すかさず、よしくんが、


お手伝いしたい~!と飛んで来て、魚を網で掬おう(救おう、ではなく^_^;)としたので、丁重にお断りして(笑)。







綺麗になった水槽の中で、以前にも増して際立つエンゼルフィッシュの存在感。


ほかの魚を追い回すから、みんなビクビク…







このエンゼルフィッシュがやって来たのは昨年春ごろ。


500円玉サイズの小ささで、可愛いらしくて一目惚れ。


飼うにあたって相談したスタッフさんに、60センチの水槽なら4、5匹飼っても大丈夫ですよ、と言われて連れ帰る。


1匹にしておいて良かった…


でも、ほかの魚たちにとって、脅威の存在と化し、みんなの隠れ家として“沈没船”を投入したりもしたけれど、


ほかに有効な手立てはないかと、行きつけの熱帯魚屋さんへ。


相変わらずのエンゼルフィッシュの近況(横暴ぶり)を伝えると、


「子育てするんですよ、エンゼルフィッシュ」


「かわいいですよ、子育てする様子は」


思ってもみない言葉がかえる。


そうか、


ほかの魚を追い回していたのは、いじめていたわけではなく、


自分の縄張りを守っていたのか…。


そして、その自分のテリトリーの中で、子育てをするエンゼルフィッシュ。


見てみたいけど、ごめんね、水槽のサイズが小さくて (;_;)。


なんだかとたんに罪悪感。


エンゼルフィッシュだって、一生懸命生きているんだ。


自分の出来ることは限られているけれど、少しでも環境を整えよう。


そんな決意でスタッフさんに勧められた水草を購入。










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2015年4月21日 (火)

ミヤコワスレの花言葉






父の命日の今日、


花を手向けに行きたかったけれど、いろいろあって叶わず。


それでも今日は仕事は休んで、


一日出かける予定を遅らせてくれた母の元へ。


到着した私を母は庭へといざない、いま見頃の花を次々に説明してくれる。


中でも懐かしい思いがあふれてきたのは昔から父が好んでいたミヤコワスレ。


…「都忘れ」なんて、どうしてそんな名前がついたのだろうと不思議に思っていたけれど、


調べてみると、「ミヤコワスレ」は、承久の乱で佐渡に流された順徳天皇がこの花を目にすると、都への思いを忘れられるとのことで付いた名前なのだとか。


さらに、まさに今日、4月21日(民放の日)の誕生花なのだそう。


花言葉は「しばしの憩い」や「別れ」。


小学生だったころ、学校や友だちとの間で悲しいことがあると、よく大声で泣きながら家に帰った。


涙があふれてくると同時に、自分がどんどん小さく小さくなっていく感覚に包まれ、なんて自分は取るに足らないちっぽけな存在なのだろうと無力感でいっぱいになる。


その時の私にとって「ミヤコワスレ」と同じように辛さを和らげてくれたのが、父の穏やかな笑顔と母の叱咤激励。


パパ~…>_<…と泣きじゃくる私に、大丈夫だ、と言いながら微笑み続けた父。


少なくても、自分はここではかけがえのない、大切な存在だと思われていて、私は私でいいんだ、大丈夫なんだと思えると、明日は明日の風が吹く、と気持ちを切り替え、踏ん張れた。


親にとって、そんな私も「ミヤコワスレ」のような存在だったのだろうか、と今日想う。





傷ついたであろう息子を想って哀しみ、自分の不甲斐なさを嘆き、大切なものを突如失うことになったさみしさと後悔で胸が張り裂けそうな、この春の日々。





笑顔で手を振って母と別れた後、


小学生だった自分に戻って、


大声で泣く。泣き叫ぶ。


泣いたって何も変わらないのはわかっているけれど、構わずに。





ちょうど涙が乾いたころ、学校帰りのとしくんと遭遇。


今日は学力テストもあったし、運動会のリレーの選手を決めるための100m走のタイム測定もあって、疲れた~!


でも、最後の最後に自己ベスト更新。学年で2番目に速いかも、オレ。すごく嬉しい。ゴールしたら、Kくんが抱きしめてくれた。痛かったけど、嬉しかった。


私の中で、とても深い傷を負ったはずのとしくんは、そんなことがあったとは信じられないくらいひたすら前向きで喜びに満ちていて。


ああ、ここにも「ミヤコワスレ」が咲いていると、しばし憩う。

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2015年4月17日 (金)

心臓に毛を生やしたい






将来、何になりたい?


と尋ねると、


なんのためらいもなく、「ウルトラマンと野球の選手!」と答えるよしくん。


ふだんはとにかくやんちゃで元気。


そして、甘えん坊。


でも、日曜日はいつになく甘えて、足が痛くて歩けない、抱っこ、抱っこ!とせがむものだから、


お母さんも疲れているからダメ。


ちゃんと自分で歩いて!なんて言って、ちょっと怖い顔なんかして。


その夜、よしくん、40度。


ああ、あれは甘えじゃなかったんだ。
本当に辛かったんだ。


後悔と心配で胸が張り裂けそうになる。


幸い熱は二日で下がり、翌日張り切って保育園に行ったと思ったら……、


体操の時間に怪我をして縫うことになったと連絡が入る。


そんなメールの文面を見て、私の時間がパタリと止まる。


いろいろなところに連絡を入れつつ、お詫びしつつ、会社を早退して駅に急ぐ。


なんで、どうして、どうしよう…


涙があふれて動揺、パニック。


「母親が泣いてどうするの!
かえって子どもが不安に思うわよ。
しっかりしなさい!」


念のために母にも状況を伝えると、ただならぬ私の様子を心配した母から逆に喝を入れられる。


なんとか保育園にたどり着くと、園長先生、担任の先生、看護師の先生が三人そろって丁寧で詳しい説明とお詫びの言葉。


適切な対応にお礼を言いつつ、不安で心配で胸が張り裂けそうになる。


そんな私の元に、


聞き慣れた「ママ~!」の甘ったるい声。


エヘヘ~、ケガしたの。


でも(麻酔の)注射も泣かなかった!


縫ったのも泣かなかった!


ねえ、ママ、すごい? すごいでしょ~?


恥ずかしそうにしながら得意げな、よしくん。


その姿を目にして、小さい身体を抱きしめて、ようやく止まっていた私の時間が進み出す。


心底ホッとする。


ママ~、早くお迎えに来てくれてありがとうね。


お礼も言えるよしくんの方がしっかりもので、ちょっと私が恥ずかしい。


兄のとしくんもこれまで何度ケガをしたり病気をしたりしてきたことか。


その度に心臓に毛を生やしてきたと思っていたのに。


まだまだ足りない(笑)。





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2015年4月14日 (火)

コーチャンフォー若葉台店


コーチャンフォー。


聞きなれない単語の施設名。


何だろう? と思っていたら、コーチャンフォーとは、四頭だての馬車のことなんだとか。


それで、書籍、文具、音楽&映像、カフェ の四つを兼ね備えた複合施設の名称として用いられているのだとわかる。


興味津々で足を運んだ日曜日。


駐車場に車を停めて、エスカレーターで店内に向かうと、目の前に広がったのは広々とした店内。







とにかく開放的!


明るい!


種類が豊富!


白を基調とした上品なインテリア!


で、ちょっと精神的に落ち込んでいる今の私には、あまりに明るいその空間に身の置き所がなくて、カフェにすぐ避難(笑)。







カフェには、子ども用のワンサイズ小さいソファがあって、そこに落ち着く。


今から思えば、調子の悪かったよしくんと、店内探索中の夫が戻ってくるまで大きな木の下でブレイクタイム。


コーチャンフォーに乗って、みんなが行きたいところはどんな世界だろう。







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2015年4月10日 (金)

泣いた場所








いわゆる「子ども」ではなくなってから


声を上げて泣いたのは、


飼っていた犬が死んだとき。


運転しながら大泣き。


父が亡くなったとき。


よく風呂場で泣いた。


そして最近。


いろいろあって、泣いてばかり。


布団の中。


校庭。


通勤路。


いま、ラーメン屋。





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2015年4月 8日 (水)

「がんばって!」より「がんばってるね!」







昨日の朝、突然、目に入った庭の金木犀の新芽。


一斉に天に向かってニョキニョキニョキ。


生命力の瑞々しさや溌剌としたエネルギーに圧倒させられる。


そんな「瑞々しさや溌剌」というイメージと重なるNさん。あこがれの女性。


Nさんは、会社の元同僚。先輩。思慮深くて賢く、懐のあつい人。頼れる姉貴でユーモアもある。


元気いっぱいの金木犀を見ていたら、そんなNさんを思い出し、そんなNさんから「がんばってるね!」と声をかけてもらえて無性に嬉しかった気持ちも蘇る。


そう、「がんばって!」よりも「がんばってるね!」の方が、言われたときの嬉しさがちがう。


「がんばって!」だと、“これから、がんばって” と良い結果を期待されているように感じるけど、


「がんばってるね!」だと、“これまでも、がんばっていたよね。知ってるよ、わかっているよ” と、プロセスの努力を認めてもらったように思えるから。






としくんが、昨日の夕食の後、「最近のランドセル、すごいんだ!」と思い出したかのように話し出す。


一年生に、「黄色い帽子はランドセルにしまってください」と説明した後、ランドセルの留め具を締めるところは手伝ってあげようかな…と思っていたら、


みんな一斉に留め具が自動でカシャンと回るんだ!


留め具のところにボタンが付いていて、それを押すと、勝手につまみが回って締まるんだよ!


もう一年生に見せてもらったときは、ウォ~!!!スゲ~!!!だったよ、


と、興奮しながら教えてくれる(笑)。


私もそんな自動ロック機能なんて知らなかったので、ビックリ。今はそんな機能がついているとは!!!


それを聞いたよしくんが、ランドセル欲しい~! もう欲しい~!と大泣き(笑)。


それにしても、としくんが一年生相手にそんな説明もできる、最上級生になっているだなんて。


とたんに、としくんが一年生になったばかりのとき、新しいランドセルを古巣の保育園に見せに行ったときのことなどがよみがえる。


「6年生になって、がんばってるね」


私もとしくんにそんな声をかける。






★としくん一年生。ランドセルを保育園に見せに行ったときのこと。
→http://s.ameblo.jp/milk0141/entry-10508068865.html

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2015年4月 7日 (火)

いろいろな「大丈夫」



数日前、今朝は思いのほか花冷えするな、と思いながら出勤。


打ち合わせの途中から、花冷えどころか耐えられないほどの寒気に。全身の痛みと倦怠感…。


なぜ、やらなくちゃならないことが山積みで、夫がしばらく不在になる今日っ!


心の中で叫びながらも、身体のシグナルは強烈で、それでもいつものパターンだと、私はまだ数時間は動けるから大丈夫、と自分に言い聞かせ、いまのうちにできることをしないと、と気ばかり焦る。


仕事を休んだ場合の段取りと、息子たちをどうするかを算段して、打ち合わせの合間にメール。きっと大丈夫。何とかなる…いや、何とかせねば…


早退して間一髪で40度。ほぼ活動停止。布団の中でひたすら寒さと痛みと怠さに耐える。


翌朝、タクシーに迎えに来てもらい、這うようにして最寄りの病院へ。


インフルは陰性。血液検査で免疫力の極端な低下を告げられ、そのまま点滴数時間。脱水症状を起こした二日目は、点滴の針が血管に入らず、「大丈夫ですか? 痛いですよね。大丈夫ですか?」と言われながら何度かやり直し。痛くても動けず、まな板の鯉。


ダウン三日目の夕方、としくんの野球の試合の応援に行っていたよしくんが


「はい、おみまい」と言って渡してくれたちっちゃな花束に和む (^^)。







「おかあさん、だいじょうぶ?
はやく げんきに なれ~!」
と甘えつつ叱咤激励のよしくん。


「お母さん、
明日の僕のお弁当は大丈夫だよ。
僕、自分で作れるから」
と気遣いを見せるとしくん。 頼もしい ~、優しい~ (;_;)。


今回、私のSOSを知って駆けつけてくれたKさん、Fさんの強力な助っ人と息子たちのがんばりもあって、なんとか私の身体も再起動。


大丈夫ですからね!ゆっくり寝ていてくださいね」と何度も言ってくださったKさん、Fさんの言葉にも救われた。






ところで、何かと多用される、この「大丈夫」の言葉。


これまでは、あまりこの言葉を用いるデメリットを意識したことはなかったけれど、


使う状況や相手を間違えると、大変なトラブルになるということを、この前知り、次から気をつけようと思った矢先の体調不良…>_< 。


たとえば、


「こんな時間だけど、大丈夫?」
「ねえ、宿題しなくて大丈夫?」
→ これらは、確認、心配の「大丈夫」。


「私は大丈夫。見ててね」
「あなたは大丈夫!深呼吸して!」
→ 安心させたり、落ち着かせたりする「大丈夫」。


「後はしなくて大丈夫。次から任せて」
「もう間に合っているので大丈夫です」
→ 断り、制止の意味の「大丈夫」。


よしくんの「だいじょうぶ?」や、としくんの「大丈夫だよ」は受け取る私には全く問題なし。むしろ、嬉しくて感動する。


ところが、


言った本人は、「問題ない?」とか「心配だけど平気?」とかの軽い確認の意味のつもりでも、


言われた本人には、プライドが傷つけられたり、能力を疑われているようなメッセージに聞こえたりする場合も。


深く傷つくと…、時には怒りが込み上げ、反論し、


えっ? 何怒っているの? という相手の反応にさらに苛立ち、だーかーらーと、ますます炎は燃え上がり…


なんてことに (~_~;)。


私の場合も、「そのプランで大丈夫?」の一言をきっかけに、あんなことやそんなことの大バトルが勃発 >_< 。


全くそんなつもりはなかったのに…


でも、今回、


トラブルになりにくい、ちょっとしたことを病床で思いつく (^^)。


それは、あることが心配になって確認したくなった時、「大丈夫?」の最後に「ね」を付けること。それだけ。


たとえば、


(明日の準備は)大丈夫?

(明日の準備は)大丈夫ね!?


なんだか、自分のことを信じてもらえていない感じから、信頼してもらいつつ確認されているような感じに変わるような気がする。


そんな「言葉の感覚」も大事にしていきたいな。










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2015年4月 2日 (木)

「気になる子」のいるクラスがまとまる方法






この春、としくんは小学6年生。


春を満喫中のウサギのフレッドも、としくんが入学した年に産まれ、わが家へやって来たので、もう6歳。


としくんのこと、よしくんのことを、ずっと見守ってきたフレッド…。








親にとっても、すべてがピッカピカで、ドキドキ、キラキラしていた小学1年生時代。期待と希望に満ちていた日々。


2年生では、それまでのことが幻だったかのように暗雲が立ちこめ、信じていたことが信じられなくなり、暗中模索、疑心暗鬼、五里霧中の日々。


「小学2年生のころは、ぼくにとって暗黒の時代だった…」


あるとき、としくんがそう呟いて、ああ、あの時、私自身も育児休暇を終え職場に復帰したばかりで忙しなく、父も亡くしてさらに弱っていて、


十分にとしくんを見て、支えて、寄り添ってあげられていなかったなぁと振り返る。


なぜ、あの時学級は崩壊し、担任の先生が年度の途中で辞めてしまうような事態に陥ったのか。あの時、どうすれば良かったのか。何がいけなかったのか…。


何度もそうした思いに囚われてきた。


そして、最近、


朝まで涙が止まらないほどのショッキングな出来事があり、


そこで、たまたま耳に入ってきた


「お前のことが気になって気になってたまらないんだ」


と大人が子どもに話しかけていたフレーズが頭の中にこびりつき、何度も何度も蘇る。


そんな矢先にふと目に入った一冊の本。


マンガでわかる! 「気になる子」のいるクラスがまとまる方法
赤坂真二著
学陽書房







この本に書かれていたことは、まさに、「腑に落ちる」内容で、


ああ、2年生のあの時は、きっとこういうことが起きていたんだ、そうだったのか…と、


まるで、ほとばしる水と掌に書かれたwaterが突然結びついたヘレンケラーのような気持ちを味わう。


マンガとコラムの利点も最大限に生かされ、











教師のすべきことの具体例と何のためにそれをするのかといった目的がわかりやすく描かれている。


さらに、


ね、それってみんなそうだよね、 あなたも私もそうでしょう? と、誰のことも勇気づける赤坂真二先生の口調がとても心地よくて暖かい。


とにかく、この本は教育に携わる人、子どもに接することが多い人にオススメ。


多くの子どもたち、先生を元気にしてくれると思うから。







来週は、始業式。


小学校生活最後の一年がどんなものになるかはわからないけれど、


きっと何があっても大丈夫。


手を差し伸べる方法が少しわかったし、一人で抱えないで相談できるから。


たとえ、相談相手がウサギでも (笑)。







フレッドちゃん、長生きしてね。

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