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2015年7月30日 (木)

高学年の国語力


ピンチヒッターとして、今日は低学年と高学年の国語の授業を担当。



せっかくの機会なので、子どもたちにいろいろ質問してみる。



そして、やはりそうだよね、と改めて得心したのは、同じ文章を読んでいても同じ世界を全員と共有していないという事実。



まずは高学年。



たとえば、文章中に出てきた「僕はそう思わない」というセリフ。



「これって、誰のことば?」と聞いてみると、登場人物である「父親」の発したことばだと思った子もいれば、その父親の「息子」が発したことばだと思っていた子もいて、お互いに「えーっ!!!」となる。
(実際は、父親のことば。)



そして、物語の中の父親が少年に差し出した「飲み物」を、「少年に対する期待の表れ」と受け取っていた子もいれば、「少年を邪魔するもの」と受け取っていた子もいて、やはりお互いに「はっ!?」となる。
(実際は、邪魔するもの。)



それぞれ読み取った内容は正反対。



でも、大切なのは、子どもたちはわざと間違ったわけではないということ。



「僕」ということばを、大人が使うのはあまり聞いたことがない。だから、父親のことばではなく、少年のことばと考えていたり、



「飲み物」をわざわざ差し出したのだから、少年のことを気にかけているにちがいない。だから、邪魔するものではなく、期待の表れと結論づけていたり。



子どもたちの答えには、その子なりの理屈がある。



適当に答えたわけではないのがすばらしい。



もちろん、今回のケースでは、どちらかは不正確。
だけれど、ちがうよと結果だけを言われても仕方がない。大事なのは考え方のプロセス。



そんな話を子どもたちとしながら、改めて文章を読み、このセリフは父親のものだと言えるね、



このやりとりの後なら、少年が父親の差し出した飲み物を「自分を邪魔するもの」ととらえたと考えた方が納得いくねなどと考え方を確かめていく。



ふだんわたしたちは、自分の経験や常識に照らし合わせて考えたり、自分の中の理屈に沿って物事を判断したりしている。それでほとんど問題ない。



だから、国語の授業中に、「えーっ!!!」となったり、「はっ!?」となったりすることは、自分とはちがう考え方に出会えただけではなく、ふだん意識しない自分自身の考え方にも出会えたということで、けっこう刺激的なことなんじゃないかと思う。



国語の問題は、そうした「考え方」の中から、多くの人がたどり着けるものが答えになるよう作られている(ことが多い)。いわば論理的に考えれば正答できる(はず)。



「国語」としては、この作者はなぜ、「私」ではなく、「僕」という表現を使ったのか。その理由を考えるのも興味深いし、読解を深めるかもしれないけれど、その場でみんなが納得のいく結論に至るのは難しそう。つまり「正解」のある問いとしてはちょっと出せない。



でも、自分なりの意見を書かせる自由記述問題としては出せるかも……しれない。



それにしても、子どもたちは、同じ文章を読みながら、頭の中にどんな父親と少年を思い描いていたのだろう。お互いの頭の中をのぞけたら、またもや、えーっ!となって盛り上がりそう(笑)。
……ちなみに私の頭の中の「父親」役は俳優の大杉漣さん。



そんなわけで、国語力とは、論理力。



低学年の国語力についても思うところがあったので、それはまた明日。




















この前、歴代の〈アイロンビーズ飛行機〉を、鼻歌を歌いながら並べていたよしくん。



この順序には、5歳児なりの、どんな論理(法則)があるのだろう(^ω^)。




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