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2016年1月 9日 (土)

トロフィーとミスマッチ








先月末、大晦日の10日ほど前に行われた野球チームの納会。


この納会では、その年の試合結果などを振り返りながら、活躍した選手たちの表彰式が行われ、その日をもって6年チームは卒団する。


会場となるのは小学校の体育館。壇上にはずらりと並んだトロフィーが、静かに表彰式を待っている。


選手たちはこのトロフィーを励みにして、また新たな気持ちで、さらなる活躍を胸に誓うだろう。これまでのとしくんもそうだった。


でも、トロフィーには別の側面もある。


それは、本人の意思とは関係なく、あるモノサシで見た場合の、第三者から一方的に下される評価でもあるということ。


選手の行動は同じでも、それを「自分の判断でした思い切ったプレー」ととる人もいれば、「勝手な判断でした無謀なプレー」ととる人もいる。


監督の指示に意義を唱えたり仲間のエラーを指摘したりする行為も、「向上心がある」ととる人もいれば、「ナマイキだ」ととる人もいる。


野球チームに所属しているからといって、みんなが同じ目的を持って参加しているかといえば、実はそうではなかったりもする。


1試合でも多く勝つこと、強いチームになることが目的の人、楽しく野球をすることや小学校時代の思い出を充実させることが目的の人など、細かく見れば、さらに一人一人の目的は違うかもしれない。


そして、目的を達成するための手段も人によって違うことがある。


一人の選手のエラーをチームの連帯責任にすることで、チーム力が上がると考える人もいれば、


一人の選手のファインプレーをチーム全体で喜び合えるような雰囲気作りが、チーム力を高めると考える人もいる。


もちろん、二者択一ではないけれど。


ただ思う。


罰を与えたり怒鳴ったり無理強いしたりするような手段で「目的」を達成することは幸せなことだろうか。




「暴力で従わせるのは、これほど罪があって楽なことはない。本来はモチベーションを上げて目的意識をはっきりすれば自動的に子どもはやるはず。ワクワク感を持たせてあげる指導に変わっていってほしい」




この言葉は、2013年に教師の体罰問題について聞かれた松岡修造さんが答えたもの。その通りだなあと思う。
(引用元 →


としくんがこの日手にしたトロフィー。納会では、笑顔で手にして、感謝と嬉しさをにじませた。


しかし、ある部分で評価されたそのトロフィーは、嬉しさと共に、ある挫折ももたらした。


トロフィーで明らかになった、自分の思いや自負とのミスマッチ。


それでも自分は頑張ったのだと思うか、どうしてこの結果になったのだろうと思い悩むか、結局頑張ったことに意味がなかったととるか、自分はこんなものなのだと諦めるか……


様々な受け止め方。


年が明け、改めてとしくんに「これまで野球できて良かった?」と尋ねると、「うん。野球は好き。楽しかった。」とうなずく。








自分の人生の主人公は自分自身。


これまでのトロフィーたちを過去のものとするのではなく、自分は今後こうありたいという未来や、自分を肯定的に捉えることに役立たせてほしい。


自己と他者とのミスマッチはいつでも起こる。その修正もいつでもできる。







私もトロフィーもらいたいなあ(笑)。








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