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2016年2月の7件の記事

2016年2月28日 (日)

有り難し 〜早実の巻〜


今年の早稲田実業の国語の中学入試問題に出された文章の余韻にしばらくひたる。


そこに描かれていたのは、ベランダから飛び降り、自ら命を絶とうとした少年と、それを止めた「あの人」とのやり取り。






「お前は……アメーバみたいだったんだ。わかりやすく言えば」(略)


「……そして、人間になった。何々時代、何々時代、を経て、今のお前に繋がったんだ。


お前とその最初のアメーバは、一本の長い長い線で繋がっているんだ」(略)


「これは凄まじい奇跡だ。アメーバとお前を繋ぐ何億年の線、その間には、無数の生き物と人間がいる。どこかでその線が途切れていたら、何かでその連続が切れていたら、今のお前はいない。


いいか、よく聞け」(略)


「現在というのは、どんな過去にも勝る。そのアメーバとお前を繋ぐ無数の生き物の連続は、その何億年の線という、途方もない奇跡の連続は、いいか? 


全て、今のお前のためだけにあった、と考えていい」



※『何もかも憂鬱な夜に』中村文則作(集英社)

 









しびれる。


存在そのものを認める見事なたとえ話が胸にしみる。


自分の存在そのものが「有り難し」ものだということ、それはこの文章を読んだ受験生に、学校からのエールとしても届いたのではないか。


小説の中のこの少年は、これからどんな人生を歩むのだろうかと気になり、出典の『何もかも憂鬱な夜に』を図書館で借りて読んでみる。


小学生に読ませるにはまだ早い内容ではあったけれど、死刑制度や社会の在り方について考えさせる内容で、これまたしばし余韻にひたる。





ちなみに、この本の作者、中村文則さんの小説『教団X』は、現在、2016の本屋大賞の上位10作品にノミネートされている。
大賞が決まるのは、4月上旬。






ところで、この前、母に頼まれ、久しぶりに雛人形を実家に飾る。







母の母の母の代から受け継がれている雛人形は、台座の上に御簾もある。







凛とした佇まいのお内裏様。







顔を隠すも仕草も奥ゆかしいお雛様。






雛人形だけでなく、母の母の母のそのまた母というように連綿と私という存在まで一本の糸が結ばれている。







本当に、この世は有り難しかな。




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2016年2月15日 (月)

手作り本棚 〜ついに完成編〜


前回の記事(→「手作り本棚 〜チャレンジ編〜」)の続き。


さて、ほぼ完成!と喜び勇んで、試しに本を棚にしまっていったところ、本の重みが想定以上で、板がたわんで崩壊寸前に weep


これは撤退止むなしと対策を考える。


といっても補強しかない!と、余っていた板を棚の高さに合わせてノコギリで切る。


当然のように名乗りを上げる次男。


「よしくんが、切る!」


気合いは十分でも、初めてのノコギリ。思っていた通りに切れなくて苦戦。







私と交替しながら少しずつ切る。







やってみることでわかることもあるよね。


ということで、背側と、各段ごと、板を足して補強する。こんな感じで。







そして、ついに完成~!!!







完成してみると、ここはこうすれば良かったと思ったり、次はこうしたいと考えたり。


作り終わると、また作りたくなる……。


でも置く場所がない coldsweats01




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2016年2月13日 (土)

町田リス園



この前、よしくんのリクエストでお出かけしたのは、町田リス園(http://www.machida-risuen.com/)。


園内には無数の放し飼いのリス。


ヒマワリの種を手に乗せて、リスさんどうぞ!







手を差し出す前に、リスさんジャ~ンプ!







あー、びっくり。







何度もリス園には来ているけれど、毎回元気なリスさんに圧倒される。





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2016年2月 9日 (火)

失敗 〜桐朋の巻〜

日曜日出勤して、最初に受けた電話で目の前が暗くなる。


電話が告げたのは、自分のしでかしていた重大なミス。


もはや手遅れ。お詫び以外どうすることもできない失態。


起こるはずのないことが起きると、ダメージは大きい。


そんな「失敗」について、受験生に直球で問いを投げかけていたのが、今年の桐朋中の国語の入試問題


まずは文章。




誰かに何かを教えたいときには、初めから丁寧に教えるのが効率がよいとは限りません。

失敗は成功のもとといいますが、
“失敗してもいいからやってみよう”という失敗と、

“絶対成功させてやる!”という気持ちのもとでの失敗は、まったく別物なのだと思います。

後者の失敗では大きなショックを味わいますが、そこから学ぶことは非常に大きいのです。
※『教えてくれたのは、植物でした』西畠 清順著(徳間書店)より





そして、問題。




傍線部では、二種類の「失敗」が話題になっている。

君自身は今、どちらの「失敗」が大切だと考えているだろうか。

君自身の経験を例にしながら、できるだけくわしく述べなさい。





「君自身」「今」という言葉が胸を貫く。


「日本人」や「ほかの誰か」でなく、


「過去の失敗」や「これからのこと」でもなく、


まさにテストに取り組んでいる「今」、「君自身」が考えていることを問うている。


桐朋中の先生から見つめられているような、そんな錯覚さえ覚えた問題。


受験生はどんな「今」の想いを綴ったのだろう。







さて、私のしでかしていたミスとは、恐ろしい漢字の誤変換。


たとえるなら、この「一輸の花」。









そう、「一の花」となるべきところが「一の花」になっていたのに気づかないまま、世に送り出してしまった……そのようなミス。


まったく人間の思い込みというのは恐ろしい。


私はこの失敗を次にどう生かそう。


この輪と輸以外にも、


姿と婆、校と枚、侍と待、助と肋、城と域、官と宮、蓄と畜、薄と簿……など、形の似ている漢字は結構多い。


とりあえず、手元の注意すべき校正のポイントメモに、今回見逃した漢字を書き加える。


ちなみに、先ほどの写真は、通勤途中に目にとまった可憐な花。


普段は見過ごしていたのに、ふとその色合いや、花びらの整然とした形の美しさに目を奪われ、撮ったもの。


まるで道端から声援を受けているようで嬉しかった。


今年の中学入試問題には、受験生の出来たことではなく、受験生の存在そのものにエールを送っているかのような問題もあって心が動かされた。


その紹介はまた次回。








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2016年2月 7日 (日)

ガラリ 〜開成の巻〜

ハッと気づいたら、いつも間にか水槽がジャングル。







昨日、ようやくメンテナンスできて、スッキリ!見た目も雰囲気もガラリと変わる。







前回紹介した、雙葉で出題された国語の文章では、“見るたびに「別もの」になった”ものが書かれていたけれど
(記事はコチラ→)、


同じ文章なのに、問われることで、見た目も雰囲気もガラリと変わったかのような印象を受けたのが、開成で出題されたこの文章とその後にあった問題。




高台に立つ高校に通っていた。

高台にあったから、眺めは良かった。


山肌にぎっしりと建てられた家々と長崎港を覗き込むように眺められた。

港には造船所のドックがあり、五島列島や上海へ向かうフェリー乗り場があり、ガスタンクがいくつか並んでいる。

普段は大きな港なのだが、年に何度か外国の豪華客船(クイーンエリザベス号など)や、大きな帆船が停泊すると、その港は急に小さく見えた。

(略)

しかしこの時初めて、「つまんない」という生の東京弁に僕は接したのだと思う。

中学の頃、Kさんを苛めたという同級生たちの顔が浮かんだ。そこには十四階建てのビルをバカにされたような気がした自分の顔も混じっていた。

高台にあった学校からは長崎港が見下ろせた。

普段は大きな港なのだが、年に何度か立派な船が停泊すると、港は急に小さく見えた。


※『とっさの方言』(ポプラ文庫)より「つまんない」(吉田修一)




きっと、ただ読むだけなら気づかないかもしれない。


開成の先生は、受験生にこう問いかけていた。



傍線の二つの文は似ていますが、それぞれの内容には違いがあります。それはどのような違いですか。説明しなさい。



問われることで、改めて表面には出て来ていない筆者の想いに光が当たる。


同じような言葉が使われている二つの文。


同じと言えば同じ。でも、開成の先生は、はっきり内容には違いがあると言い、受験生がその違いを説明できることを期待している。


写実的で客観的な描写と、観念的で主観的な描写。


問われなければ通り過ぎていたかもしれないその違いを示唆されることで、捉えられる文章の奥行きも違ってくる。


作問者の眼差しに何だか感動する。







そして、さらに受験生に対して直球の投げかけをしてきていたのが、桐朋中の国語の問題。こちらは今度ご紹介。








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2016年2月 5日 (金)

春 〜雙葉中の巻〜





中学受験が行われるこの時期は、仕事が立て込み、しばらく帰りが遅くなる。


夜、直接会えないのは寂しいけれど、間接的に知る、子どもたちの様子は時に新鮮。


ふだんは相手のことを丸ごとわかったようなつもりでいても、実はそれは一部に過ぎなかったということにも気づかされる。


……などということを思っていたら、今年の雙葉中の国語の入試問題の文章に、同じような内容が書かれていた。





小学五年生の時、親に連れられて、フェリーニ監督の『道』という映画を見た。



(略)



十年後、大学生になって、再び映画を見て衝撃を受けた。(略)内容は初めて見たも同然だった。

フェリーニ監督の『道』は、見るたびに「別もの」になった。

世の中には、「すぐわかるもの」と、「すぐにはわからないもの」の二種類がある。



すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、フェリーニの『道』のように、何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。



そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。
※森下典子の『日日是好日』より



ちなみに、雙葉中はこの文章の後で、



フェリーニ監督の『道』は、見るたびに「別もの」になった」とありますが、筆者の受け止め方はどのように変化したのですか、



と受験生に問いかけていた。






受験というマウンドで善戦したとしくんは、届いた吉報を祖母に電話で報告。


その際、「天国のおじいちゃまも喜んでいるよ」と言われ、涙をぬぐっていたと聞く。


今でも息子の中に父が息づいていることを知り、私も目頭が熱くなる。


そして、母の言葉をそのように受け止めた息子の姿にも胸がうたれる。






それにしても、今年の中学入試問題も、子どもたちに読ませたい文章が数多く出されていた。


これから、少しずつ紹介したいと思う。






写真は、としくんが小さい時にお世話になったファミリーサポートのOさんからの贈り物。笑顔の花も咲いて、わが家に届いた一足早い “春”。



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2016年2月 1日 (月)

息子の背中







いつ頃からだろう、長男の背中を見ることが多くなったのは。


前は横に並んで私と手をつないで歩いていたのに、今は時々振り返りながら、私の先を常に歩く。


今日はとしくんの第一志望校の受験初日。


勉強も野球も、親はマウンドに立てない。ひたすら声援を送るだけ。やるかやらないかは本人次第。


私の役目は、家でホッと一息ついてもらうこと。ということで、毎晩重宝していたのが、こちらのアロマオイル。







わざわざ友人が調合してくれたオリジナルアロマオイル。


寝る前に、両手にたっぷりつけて、お風呂上りのホカホカしている息子の背中をマッサージ。専門的な知識や技術はないので、傍目にはきっと「雑巾がけ」みたいなマッサージ ^_^;。


時々飛び出す愚痴や本音をふむふむ聞いては、はは~ん、とか、ふ~んとか相槌を打ちながらのマッサージ(ここで安易に解決策を示したり、助言したりしないのがミソ)。


泣いても怒っても笑っても、背中をマッサージ中の私には、その顔を見られなくてすむからか、様々なシーンの「思い出し悔し泣き」や、「思い出し怒り」、「思い出し感動」とかもひょっこり顔を出す。


日々、いろいろなことがあって、いろいろがんばっているんだなあと、マッサージ中の私の脳内に流れるのは『聖母たちのララバイ』のメロディ(笑)。


「普通が一番。受験だからといって、特別なことはしないで!」と念を押されていたけれど、受験前の夕食は、さりげなくカツ丼と豚汁に。







自分にカツを入れて、トコトンがんばれ!


そんなメッセージをひっそり込めて。






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