エポキシパテは4分以内
植木鉢で、いつも楽しげなカエル3兄弟。
お散歩中の近所の保育園の子どもたち、パパやママに抱っこされた子や、おじいちゃんやおばあちゃんと手をつないだ小さな子も、よく話しかけたりあいさつしてくれたりする人気者。
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いろいろあって、すごく間が空いてしまったけれど 、
前回の記事(→ 「2日目は、動物のお世話から」→ ★ )の続き。
ホールアース自然学校の「里山のようちえん」最終日の2つ目のイベントは、ホールアース自然学校の敷地にさりげなく生えているお茶の木の葉っぱ摘み。
摘む葉っぱは、茎の先の芽の部分と、そのすぐ下の2枚の若葉(一芯ニ葉:いっしんによう)。
柔らかな新芽は、指を添えて力を加えると、スッと摘める。
山盛りになったお茶の葉は水で洗って少し蒸したあと、コンロのお鍋へ。
炒って水分を飛ばしたあと、鍋から取り出して揉む。すると、また葉っぱから水分が出てくるので、また炒る。その繰り返し。
そして、ついに!
ボリュームたっぷりだったお茶の葉は、炒って揉んで炒って揉んでを根気よく繰り返すことで、こんなコンパクトに。
そんなお茶の葉をポットに入れてお湯を注ぐと、葉っぱが再び開いて、なんだか美しくて瑞々しい。
そんな手間をかけた贅沢なお茶と共に、自然の恵みたっぷりのお昼ご飯をいただく。
最後のメニューは、
・ごはん
・レタスと卵のトロトロスープ
・中華風白和え
・鶏もも肉とタケノコの塩麹煮込み
・キャベツの醬油漬け
・スナップエンドウの味噌ディップ添え
どれもこれもすごく美味しくて、ふだんはしないお代わりをしてしまうほど。全身で味わう。熊本や福島に思いを馳せつつ。
ところで、
としくんのときに参加して以来、7年ぶりに訪れた今回。到着してまず目に入ったのは、青空の下、様々な野の花が飾られたそれぞれのテーブル。
「お待ちしていましたよ」というウェルカムメッセージと心配りを感じて胸が温かくなる。
そして、わが子にばかり目が行きがちだった以前に比べて、いろんな子どもたちの姿や言動が目に入る。
中でも印象に残ったのは、いろんな人にちょっかいを繰り返していた、一人のやんちゃな男の子。
いたずらを阻止すべく、大人たちはその子を抱っこしたり抱えたり。
イベントの最後に催された「さよならの会」で、参加者一人ひとりが、一番楽しかったことは何かを発表していくなか、その男の子が言ったのは、
「泥んこ遊び」でもなく、「動物のお世話」でもなく、
「おおぜいの人に抱っこしてもらったこと」。
そうだったんだ……。
私もスタッフさんを助けるという意味で、その子を抱っこしたけれど、抱っこされて嬉しかったんだね。
で、最近母から教わった「オキシトシン」。
6月1日にNHKで放映された「ためしてガッテン」で、幸せホルモン「オキシトシン」が認知症や高血圧、痛みを改善すること、その分泌を促すのはタッチケアであることが紹介されていたのだとか。
肌と肌との触れ合いが人を癒し、痛みやストレスを和らげる。
「オキシトシン」のことを知って、「おおぜいの人に抱っこしてもらったこと」と言ったあの男の子の照れながらも嬉しそうだった顔がよみがえる。オキシトシン効果。
【前回と前々回の記事はコチラ 】
「7年ぶりの田植え、テント泊」→ ★
「2日目は、動物のお世話から」→ ★
【7年前の記事はコチラ】
「脱穀(昔ながら編)」→ ★
「朝のお勤め」→ ★
「脱穀(原始的編)」→ ★
「締めは新米にぎり」→ ★
※ 現在の名称は「里山のようちえん」ですが、当時は、【森と田んぼのようちえん】と【森と畑のようちえん】がありました。
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この夏、手作りブランコ(記事はコチラ→★)が好評だったことに気を良くして、再びチャレンジしたDIY。今度は本棚作り。
幅20センチ、長さ140センチ、高さ120センチ。下段は絵本、上段は文庫が置ける本棚をなんとなくイメージして、ホームセンターへ。
いろいろ見てまわって、結局幅20センチ、長さ120センチの板、角材、飾り棚などを購入。
それらを組み合わせて、完成のイメージを見てみる。
下段は組み立てても問題なさそうだったので、さっそく板に角材を釘で打ち付ける。
よしくんが、ここはオレの出番だと、太鼓を叩くようにトンカチを豪快に釘に打ち付ける。
釘が曲がらないように慎重にトンカチを扱う人もいれば、よしくんのように大胆に扱う人もいる。トンカチの扱い方で性格占いできるかも?
下段が完成。そういえば、物置きに余ったキャスターがあったことを思い出し、付けてみる。
ふむふむ。いい感じ。
上段は幅20センチの飾り棚を利用して組み立て、本が後ろに落ちないよう立ち上がりもつけてみる……予定。
なんだかあっという間にできてしまいそう……な予感。
仕上がりのイメージを確認し、釘で打ち付けた下段以外は、設置場所の寝室で組み立てることに。
積み上げた材料をもう一度バラバラにして、寝室に持って行き、いざ組み立て開始。
そして、あの「手作りブランコ」のときと同様、自分の誤算に気づく……。
う~ん。現在打開策を模索中。
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早いもので、もう年が明けて2週間。
お正月は、いつものように息子たちと公園で凧揚げや野球。
そして今年は実家近くの神社に初めてお参り。亡父がクリスチャンだったこともあり、初詣に訪れるのは、今回初めて。
私よりも詳しいとしくんが、弟に様々な作法を教えてくれて頼りになる。
そして書き初め。
今年の言葉は「夢の実現」。
半紙に書かれていく字を見ながら、自分が実現したい「夢」ってなんだろうと考えてみたり、「の」を他の言葉に変えて、「夢を実現」「夢が実現」「夢は実現」にすると、何だか「夢」の押し売りみたいになるから、やはり書き初めの言葉としては「の」がふさわしいなあという、どうでもいいようなことを発見したり。
そしてお年玉。それから、一年の抱負をみんなで発表。
今年はとしくんの中学受験が控えていることもあり、いつものように「今年の目標は?」を聞くと、「合格したい」と答えそうで、それだと来月には今年の目標の結果が早々と出てしまうなあと考え、
「今年はどんな一年にしたい?」という質問に変えてみる。
「今年は中学生になるし、充実した楽しい年にしたい」と、としくん。
「(保育園の)うんどうかいを、がんばりたい」と、よしくん。
最後は私。
家族それぞれの前向きな意気込みに感動して、私は家族を支えたいという思いがこみあげる。
そこで、「みんなが家で充電して、また元気に出かけられるよう、穏やかでいつも笑顔のお母さんでいたい」と思わず言ってしまう……。
で、その日のうちに些細なことで家族と喧嘩して、早々挫折…… ^_^;。
まあ、「いつも笑顔」はさすがに厳しいから、「いつもポジティブ」くらいにしておくかと、勝手に密かに今年の自分の抱負を変更する(笑)。
今年が誰にとっても良い一年になりますように。
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長く伸び、気になっていたとしくんの髪。
ようやく切ることを承諾してくれたので、いそいそと「散髪セット」を取り出す。
箱のラベルには懐かしい父の文字。
私の記憶にある限り、一度も床屋に行ったことがない父。髪を切るのは、いつも母の役目だった。
その時の「散髪セット」が未だに重宝するだなんて。
床屋、美容院を嫌がるとしくんは、髪を切らせないどころか、以前は家以外の場所では、室内でも帽子をなかなか脱ごうとしなかった。
としくんにとって、髪や帽子は、自分の身を守るある意味「鎧」。でも今年に入って、帽子を手放せるようになってきた。
そんな息子の変化を嬉しく思いつつ、いざ散髪。
私の前でありのままの姿をさらけ出してくれている息子が愛おしくて、期待に応えたくて、無料動画サイトでヘアカットのやり方をこれまでに何度か視聴したものの、やはり見るとやるのとでは大違い。
四苦八苦しながらチョキチョキチョキ。
まあ、なんとかうまくいったと安堵しながら、終わったよと声をかける。
さっぱりしたはずのとしくんが、お風呂の鏡の前で、こんなに切るなんてヒドイと私をにらんで責める。
としくんの苛立ちは不安によるものだと頭でわかっていても、面と向かって責められると心中穏やかでいられなかったけれど、
毎度お馴染みのそんな反応にもだいぶ慣れ、ごめんごめんと言いながら、そそくさ「散髪セット」を片付ける。
とはいえ、たまにはきちんと片付けようと箱の中を整理すると、底から出てきたのは昔の新聞の記事。
記事のタイトルは、「幼児の散髪」。
父の形見だと思っていたら、元は私自身の「散髪セット」だったと、ようやく気づく。
何十年も昔の昭和の記事に初めてしげしげ目を通していたら、お風呂から上がったとしくんの「さっきはごめん。髪を切ってくれてありがとう」の声。
はーい、どういたしまして、と軽く答えて、心の中で私も天国の父に感謝の言葉。
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父の日だった日曜日。
その日は、朝から夜まで職場のみんなとひたすら作業に追われて疲労困憊。
23時、ようやく解散。
“父の日” 終了まであと1時間。
ビールでも買って、夫に日頃の感謝と今日子どもたちを見てくれたお礼をしようかとコンビニ目指して歩いていたら、
道端に落ちていたお財布発見!
かなり分厚い……。
脳裏に、過去にお財布を無くした時のとしくんや、財布が見当たらなくて焦った時の家族の顔が思い浮かぶ。
拾った財布を小脇に抱え、家とは反対側の交番へ。
今頃、お財布を落とした人は焦っているに違いない。早く届けねば! そして、早く帰りたい! そんな思い。
小走りで交番へ向かう途中、お巡りさんらしき人を見かけて、「お巡りさんですか?」と尋ねると、残念ながらガードマンさん。
でも、息を切らしながら尋ねる私の様子を心配してくれたのか、「交番はあちらだけど、大丈夫? あと少しだからがんばって!」と励まされつつ見送られる。
数分後に交番着。
でも、無人。
カウンター設置の電話機で、受話器の向こうのお巡りさんに事情説明。
今、人を向かわせます、ということで受話器を置いて、お巡りさんを待ちわびる私とお財布。
時計の針は23:30。
しばらくすると、赤色灯を付けたパトカーがやって来て、中から優しそうな年配のお巡りさん。
地図を広げてお財布を拾った場所を確認してから、お財布の中身を一緒に確認。
レシートと小銭とたくさんのカード類が取り出され、だんだんぺちゃんこになっていく分厚い財布。
お財布の中身、私も整理しなくちゃと、わが身を振り返りつつ、取り出された小銭をお巡りさんと一枚一枚数えていく。
そんな丁寧で細かい確認と書類の記入などを終えると、時計の針は24:05。
「父の日じゅうに帰りたかったな……」と思わずつぶやくと、「いやはや今日は父の日でしたなあ、申し訳ない。では、パトカーでご自宅まで送りましょう!」とお巡りさん。
!?
お言葉に甘え、いそいそパトカーへ。
夜道の一人歩きはやはり怖かったこともあり、安全かつ早く帰れることに、安堵しつつ恐縮しつつ、パトカーでまさかの帰宅。
ビールは買えなかったけれど。
翌朝、としくん、よしくんに、パトカーに乗って帰宅した話をすると、
「パトカーに乗ったお母さんを見た人は、連行される犯人と思ったかもよ」と、したり顔のとしくん。
一方、よしくんは「乗りたかった!乗りたかった!」と大泣きで大暴れ ^_^; 。
そんなよしくんに、「いいことか悪いことをすると、パトカーに乗れるよ」と、変な助言をしていたとしくん。
あのお財布は、そろそろ持ち主のところに戻れたかな……?
お巡りさん、ありがとう。
写真は子どもの日にみんなで食べたパトカーの蒲鉾。
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昨日は、小学校で一斉に開催された地域の保護者会。
久しぶりに同じ学年の○○ちゃんのお母さんや、□□くんのお母さんとおしゃべり。
他愛のない会話でも、相手のちょっとした近況がわかるだけで、みんなそれぞれがんばっているんだなあと、相手への親近感がわいてくる。
もちろん、自分の話を目を合わせて聞いてもらえるだけで、ありがたくて親近感は増すのだけれど。
この何とも言えない感覚をどう表現したものかと考えつつの帰り道。
目に留まったのは、道路の脇の雑草。
近づいてみると、
あ、小さな花。
もっと近づくと、なんて可愛い! その可憐な佇まいにハッとする。
「雑草」という色眼鏡を通すと見えてこなかった、小さな花の存在感と魅力。花びらの形や数もわかって、本当はどんな名前なのだろうと、この愛らしい花への親近感と興味がわいてくる。
今日の保護者会での経験も、こんな感じかも (^^)。
同じ小学生を持つ様々な保護者。
半数くらいは見知らぬ人で、会話を交わせたのはほんの数人だったけれど、こうして同じ場に集うことで相手の顔が見え、声を聞くことができる。
しかも、住んでいるのは同じ地区。
地震や噴火などが多発している昨今、万が一のときは、手を取り合って困難に立ち向かう仲間になるかもしれない…
それにしても、
自分の自己紹介のときに、
「……あと、息子の野球チームでは部員募集中です~!」
と言ったら、
「剣道部でも部員募集中です」
「サッカーでも部員募集中です」
「新体操でも……!」
と、自己紹介が勧誘合戦になってしまって、会場じゅうで笑いが起こる。
子どもが減ってきて、どこも大変なんだなあという思いと、
子どもの好きなことを応援している大人たちがたくさんいて心強いなあという思いが交差する。
好きなことに夢中になれる時間と空間と仲間が持てるのは幸せなこと、子どもにも大人にとっても。
私がいま一番幸せを感じるのは……、とそんなことを考える前に、4回ボツになってしまった原稿を今度こそ仕上げねば!
……と、昨日の余韻に浸って現実逃避したくなる気持ちと戦いながら、日曜日の今日は職場で黙々お仕事。
先ほど帰宅して、息子たちに挟まれながら布団に横たわる。
窮屈な姿勢で、右と左から、今日一日の報告を聞きながらの寝かしつけ。
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夕食のあと、「おかあさん、“きせかえあそび” って、なあに?」と、よしくんが突然質問。
この「着せ替え」という言葉で、なんだか子どもの頃のことが急に懐かしく思い出され、
とりあえず、百聞は一見に如かず、ということで、手元の紙を切って、着せ替え人形を作って見せる。
こういう人形に、服を着せたりして遊ぶのが、着せ替え遊びだよ。お母さんも小さい頃、よく遊んだなあ。
じゃあ、服も作って、着せてみようか?
ズボンは黒にする?
もはや、よしくんの返事も待たずに、どんどんかきかき、チョキチョキ。
宿題中のとしくんものぞきこみ、このチラシの赤いマークの部分をTシャツにしてみたら?
なんて言うものだから、どんどんチョキチョキ。
あ、いいねえ。
ついでに帽子も作り、さらにチラシから車の写真も切り抜いて、人形の近くに置いてみる。
あ、これもいいねえ。
そんな私の様子をとしくんがじっと見つめ、
お母さん、もはや説明の範囲を超えて、自己満足の世界に陥っているよ、とズバリ指摘……
とうに関心を失い、いつの間にかミニカーで一人で遊び始めていたよしくんも、
おかあさん、もう終わった? と聞いてくる ^_^; 。
えーと、あと一つだけ試していい? と懲りない私。
チラシを切り抜いて作った髪の毛とワンピースを人形に付け、手近な絵本の上に置いてみる。
わあ、すごくいいかも。
見て〜! できた!
ほら! 今度は女の子〜!
さっさと二人でお風呂に入っていた、としくんとよしくんに見せに行くと、
わははは! カツラかぶった〜!
……。
二人に大ウケで、すごすご退散 ^_^; 。
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1年ぶりの人間ドックで、久しぶりに新宿へ。
大体10年ごとに、この健康診断で腫瘍が見つかり手術をしてきたから、朝から気分はブルーで足が重い……
と、そんな気持ちを吹き飛ばすようなステキなお店を病院のすぐ近くで発見! こんなお店があるといいなとずっと思っていた。
いきなりスキップしたい気分になるも、まずは検診……。帰りに絶対にこのお店に寄る!と心に決めて。
そのお店がこちら。
「3丁目のちいさなパン屋さん」、略して、「ちいパン」。
今年の2月にオープンしたのだそう。
ちょっとずつ、
たくさん食べて欲しいから、
ちいさなパン、いろいろ作っています。
と書かれた看板の言葉にグッとくる。
あれもこれも食べたーい、と思っても、確かにパンを一度に何個も食べられないから、いつも、もっとパンが小さければいいのにと思っていた。
たくさん選べるって嬉しい~♪。
店内は可愛く飾り付けられていて試食のパンも豊富。イートインスペースもある。
持ち帰るパンを入れる紙製の容器もあったので、早速としくん、よしくんにお土産のパンを選ぶ。
本当に小ぶりで、可愛くて美味しそう。
帰宅して、いつも保育園閉園ギリギリにお迎えに行くよしくんを、今日は約束通り早めにお迎え。
保育園に着くと、ちょうどお昼寝から覚めたばかりのよしくんが私を見つけて甘えた声を上げながら飛びついて来る。
ところが、いつもなら、お昼寝から覚めるとおやつタイムなのに、今日は早いお迎えでおやつが食べられないとわかると、みるみる顔が曇って泣きそうに。
そんなよしくんに、「おやつはお家で食べよう。ちゃんと用意してあるよ」と耳打ち。
「おいしいおやつ?」
「うん、きっと気に入るよ (^^)」
帰宅すると、3つのパンはあっと言う間によしくんの胃袋へ(笑)。
それにしても、少しは味見しようと思っていたのに、検診後は胃痛で、私は結局一口も食べずじまい……^_^;。
近所にも、ちいさなパン屋さん、できてほしいなあ~
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昨日の続きを書く前に、iPhoneのニュースサイトで頻繁に目に入ってくるネパールの大地震の被害状況について。
25日に発生してから刻々と深刻な被害が明らかになっていき、そしてその事態の深刻さが増していっている状況にとても胸が痛む。
昔はテレビのニュースや新聞、ラジオからの情報を待つしかなかったけれど、今の時代は情報を得ようと思えばいろいろな手立てがある。そして受信するだけでなく、世界に向けて自ら発信することもたやすい。
だからこそ、デマの拡散に関わらないように気をつけつつ、個人であってもいろいろな支援に関われるということを意識して、被害に遭われた人たちのことを気にかけていきたい。
さて、
昨年秋に訪れた、広尾学園のICTカンファレンス。午前は公開授業。午後は広い会場で先生方のパネルディスカッション。
先生方の話はとても刺激的かつ魅力的で、特に次のような言葉が印象に残った。
・ICT機器を持つことで、個人の興味を超え、教科書以上の情報に触れることができる。やる気や意欲、好奇心や探究心が向上する。
・教育界にICTが導入される意味とは、ガラパゴス化した停滞気味の教育にエネルギーが注がれ、教育の本質に近づくということ。
・知識や技術を教えるつもりはない(今後覆ることもあるから)。答えを知らないものにどうアプローチすると良いかを学ぶことが大切。ICTや英語はそのためのツール。
・これからは教育の内容と質を考える時代。
下の板からもわかるように、とにかく熱い思いがほとばしっていた先生方。自分のメモ書きを見ながら思い起こしているので、言葉足らずで不正確な内容が含まれているかもしれないけれど、
「習うから学ぶへ」「ICTをいかに創造の武器にするか」ということに力が注がれていることがよくわかった。
ちなみに、コースによって生徒の持つ 「ICT機器」 は、MacBookだったり、iPadだったり、chromebookだったりする。
こういったICT機器に加えて、Googleドライブ、ムードル (Moodle) といったオープンソースのeラーニングプラットフォーム、非営利の教育Webサイトである、カーンアカデミーなど、先生方は様々なツールをご存知で、積極的に活用しているようだった。
改めて、これまでの「上から下へ」、「少数が多数を教える」といった教育のあり方が、ICTの導入によって変わっていっていると肌で感じる。
でも、例えば国や政治家に任せておけば安心だといった「権力者ともの言わぬ庶民」といった関係は、東日本大震災をきっかけに、多くの人の中で崩れたのではないかと思う。
国からの情報を待つことからツイッターで流れてくる情報を元に行動したり、
自らの状況をツイッターで不特定多数に伝え、権力機関が動いたりというケースもあった。
広尾学園ICTカンファレンスの午後のパネルディスカッションでは、生徒さんも登場し、所有するICT機器の使い道や、メリットやデメリットを率直に語ってくれた。
・演劇部の活動では、演じている様子をiPadで撮り、みんなでチェックし合えるのが良い。
・場所を問わず議論でき、意見がもらえるのが良い。
・自宅でICT機器を使っていると、ふとYouTubeを見てしまったり、様々な誘惑に負けやすい。自己管理の必要性を感じる。
・ICT機器があるからこそ、リアルなコミュニケーションが大切だと思うようになった。
どの生徒さんも、先生方の熱い思いや、何のために自分たちにICT機器が提供されているのかということをよく理解している。
冒頭で先生が述べていた「教育の本質」とは何だろう、と改めて思う。
子どもが小さい時は、ディスプレイ越しではなく、自分の目で、鼻で、耳で、全身で様々な体験をしてほしい。
たとえば、映像で見る「花火」と、実際に花火を見たり、したりするのとではまるで違う。
そして、検索すれば、何らかの「答え」が得られるのがインターネットの世界だけれど、世の中にはすぐに答えの出ないもの、複数の答えが考えられるものの方が遥かに多い。
たとえば、もう取り返しがつかないけれど、あの時自分はどうすべきだったのだろうかと考えたり、なぜあの人はあのタイミングであのような発言をしたのだろうかと疑問に思ったり。
なので、これからは前回書いた、ヒューマニティーズの学びがもっと重要になると思う。
というより、
五感を使って感じること、目に見えないこと、を貴いことと捉え、大事にしたい……
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